やせた歌

21日の日記書きながら、
あるいはその日記にKAZEさんから頂いたコメント読みながら、レスコメントを書きながら、いろいろ考えてたんですけど。
音楽を「データとして」買う(ひょっとしたら「買う」という意識すらないのかも知れない)、ということが一般化しているのは事実なわけで。


例えばCDの場合、飽きたりして聞かなくなったらブ○クオフあたりで「売る」ということができます。
一方、安くCDを手に入れたい人が、そうしたCDを「買う」という、そんな市場ができあがっています。
アーティストさんやレコード会社にとっては、リセールによる利益なんて1円も入ってこないので、それはそれで考え物なんですけど。


でも配信データの場合、基本的には他人へ譲渡できません。
無理矢理やろうとすれば技術的にはできないことはないんですが、それは要するに違法コピーと変わらないです。


じゃあ聞かなくなって、HDDなりメモリなりの容量も少なくなったら…捨てるだけです。
なんか空しいですね。


で、ふらふらネット上をさまよってみたら、ちょっと前の記事ですがこんなものを見つけました。


もはや音楽は消費材か──「着うた」世代の今(ASCII.jp)
記事中に
KDDIが携帯電話ユーザーを対象に音楽CDと「着うたフル」の音質の効き比べをやったところ、10人に1〜2人しか違いを聴き分けられなかった」
という記述がありまして。
もちろん2007年の記事ですから、まだ「着うたフルプラス」の無い頃です。
ちょっと信じがたいんですけど、というかどんな耳してんのか、って思っちゃうんですけど、
そんなものなんでしょうか。


ふと、CHAGE&ASKAの「LOVE SONG」の一節を思い出しました。

聴いた風な流行に紛れて
僕の歌がやせつづけている
安い玩具みたいで君に悪い


この曲がリリースされたのは1989年。
当時の音楽界の状況に対するアンチテーゼというか、彼らなりのメッセージというか。
そんな気持ちが込められた曲です。
圧縮されまくって、文字通り「やせた」歌が飛び交う昨今。
チャゲアスは先に活動休止を発表しましたが、
今の音楽シーンを、彼らはどう思ってるんでしょうか。


ケータイで音楽を聞くのがフツーになりつつある今、私のように買ったCD売らずに全部持ってる…なんて人間は少数派なんでしょうね。
でも、「聴きたい」と思って買った曲たちを、例え聴かなくなっても、ふとジャケットを見て買った当時のことを思い出したりして。
自分にとってはどのCDも大事な宝物で、手放すことができません。
想い出をつくってくれた曲たちだから。


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