富士・はやぶさ〜追憶の彼方へ〜

futashizuku2009-03-12

いよいよ、明日に迫ってきました。
以前書いた「誰がブルートレインを殺したか」は極力ノスタルジアを廃して淡々と書き綴ってみたつもりですが、
もう今日になっちゃえば、想い出モード全開でいいでしょう。


それぞれの列車の詳しい沿革については、Wikipediaに譲りますが、(富士 はやぶさ  いずれもWikipedia)
かつて「日本一の長距離列車」だった「富士」と、それに次ぐ長距離列車だった「はやぶさ」。
日豊線経由西鹿児島行きだった「富士」と、鹿児島線経由西鹿児島行きだった「はやぶさ」。
区間も短縮され、列車編成も大きく替わってしまった両列車ですが、
この二つの列車が併結され、最後の「九州ブルトレ」となったことに不思議な縁を感じます。
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私の母の帰省先は筑後地方でしたので、「はやぶさ」には何度も乗っていますが、「富士」には結局乗らずじまいでした。
まぁ、使ってた車両は一緒なんですけど。


初めて「はやぶさ」に乗ったのは小学生の時。母と弟とともに。
車内に入ると、消毒なのかなんなのか今でもよく分からない、独特の匂い。
既に多くの寝台はカーテンが降りていて、静かに自席へ。
セルフサービスのシーツを敷き、カーテンを閉めれば、そこは自分だけの空間。
小さな蛍光灯を点け、小型時刻表をながめながら、今どこを走っているんだろうと想像するのも楽しかったです。


翌朝。
お楽しみは当然食堂車。
和洋二種類から選べ、母と弟は洋食を、私は和食を選んだように記憶してます。
その時、確か小郡駅(現・新山口駅)に停車中。
動く景色を見ながらの食事を楽しみにしていたんですが…あれ?数分経ったのに動き出さない。
どうやら、北九州で集中豪雨があったらしく、九州行きの列車は足止めだったようです。
「動かない食堂車」での食事を終え、自席に戻りました。


1時間…2時間…なかなか動き出しません。
はやぶさ」の2時間くらい後に東京を出たはずの下関行き「あさかぜ」が追い抜いていきました。
そっか、九州へは入らないもんね…。


「お急ぎの方は新幹線に振り替えます」というアナウンスに、半ば強引に「急いでないよね?」と母を説き伏せる私(笑)。
実際急いでたわけじゃないし。


3時間過ぎた頃でしたか…ようやく列車が動き出しました。
でもダイヤはメッチャクチャで、途中の駅でもちょくちょく停車。
結局目的地の駅に着いたのは5時間遅れ。もちろん特急料金払い戻し。
電車大好きっ子の私としては、長くブルトレに乗れただけで満足でした。


もう食堂車はないけれど、
それでも、九州へ行くとき、時間が許す限り何度も「はやぶさ」には乗ってて。
去年の秋に乗ったとき、やっぱりあの独特な匂いは変わりませんでした。
子どもにとっては…いや、今でも?…高嶺の花のA個室。
カーテンで仕切られただけじゃない、文字通りの自分の空間。
でもいくつになっても、ブルトレに乗るときのある種の高揚感みたいなものは変わりませんでした。


あと思い出すのは、徳山駅から乗り込んできた車内販売のおばちゃん。
いつか乗ったときにも、このおばちゃんだった気がします。
いつも瞬間的に「あなご飯」か幕の内かで迷うんです(笑)。で、その時の気分でチョイス。
「幕の内」なんて、と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、
幕の内は幕の内で駅ごと(というかお弁当屋さんごと)に結構個性があるんです。


残念ながら、終着駅が迫っています。
明日、最後の九州ブルトレを見送ってこようと思います。
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