夢のカケラ

タイトル、あえて3点リーダーを抜いたのは意味があるような、ないような。


前回の記事の終わりがけで「美辞麗句だけでは食べていけません」と書いたんですが、
お金の話をするとイヤな顔をされるかも知れませんが、
メジャーであれインディーズであれ、お金に目を背けて音楽活動はできません。
楽器一つだって、お金がかかります。
メジャーであれば、楽器メーカーのサポートを受けたりもできますが、
インディーズであれば全部自前です。
大きな事務所にいれば力で大きな仕事を持ってくることも可能ですが、
インディーズであれば、小さなハコと、警察に追い出されない程度に路上でアピールするほかありません。
最近はネットで自らの存在をアピールすることもできるでしょうが、
星の数ほどあるwebサイトから自分の存在に気付いてもらうのは奇跡に近いお話です。
大手事務所やレコード会社へデモテープを持って行ったって、大半は聴いてももらえないでしょう。


何かのきっかけで、札幌の小さな事務所にいたZONEはメジャーデビューを果たした。
タイアップがハマって、大ヒット曲を出し、一定の地位を築いた。
しばらくはその貯金で一定の地位にとどまりつつも、だんだんとメインストリートから外れて行った感はあるにせよ、
それでも、CD自体が売れなくなっていった業界事情を考えれば、それなりの地位にはとどまり続けていた。
でなければ、武道館で解散ライブなんてできない。


それを、すべて捨てた…


解散後、メンバーが音楽活動を再開することがあるとすれば、可能性の順で行けば
MIYUTOMOKA>>MAIKO>>>>>>>MIZUHO、だと思ってましたが、現実はちょっと違ってました。
ただいずれにしても、0から再び這い上がるのは至難の業であることは彼女達も覚悟していたでしょうし、
現実がそれを証明しています。
貯金はすべて清算してしまいましたから。


そして、ランタイムという会社自体も大きくその業態を変更せざるを得なくなりました。
スクールの卒業生を他の事務所に売り込むシステムではなく、自らマネジメントをするのであれば、ヒットしたときの実入りは大きいでしょうが、
その「看板」がなくなり、替わる「看板」を掲げられなくなれば、多大なリスクを背負い込みます。
現に、ZONEのいるうちに…いや、その後も、ついに「ポスト・ZONE」を産み出せなかったのですから。


細い細いパイプを頼りにしながらそれでも何とかやってきていますが、
どうやら先行きは怪しくなってきました。
大手レーベルならともかく、異業種から思いつきで参入したような所では余計に。


だからといって彼女達のあの時の決断が間違いだったという気はありません。
人間の歩みに正解は無いのですから。
ただ、本当に熟考に熟考を重ねた決断であればいいのですが、
空気というか風というか、そういうモノに乗せられてがわき上がってきて決断せざるを得なくなったのなら、
失ったモノは大きかったのかも知れません。


年末の大型音楽番組が放送される時期になりましたが、
あの時はああだった、と思いながら、もはやBGMのようにしか曲が耳に入ってこないのはやはり寂しいものです。
「10年後の8月」まであと1年と9か月ちょっとになりましたが、
2011年の8月、彼女達のことを思い出す人などほんの僅かなのでしょう。
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