夢は思い出に、そして伝説に。

0系さよなら 引退式に1600人 博多駅(西日本新聞)
そうか、ひかり「347」号って、「さよなら」との語呂合わせだったんですね。今頃気付いて遅すぎ(笑)。
でも、このさよなら運転で0系をもう一度「ひかり」として運行するためには、関係者の方の苦労も大きかったんじゃないかと思います。
東海道は言うに及ばず、山陽新幹線でも「こだま」に使わていれる100系を除けば、MAX270Km/hオーバーの「のぞみ」世代の電車が主力。
そこへ220Km/hの0系を「ひかり」で運行しなきゃいけなかったわけですから。
「ひかり」ではじまり「ひかり」でフィナーレ。
改めて、関係者の方々に敬意を表します。


東海道新幹線の構想が発表された当時、世間の風は必ずしも暖かくはなかったようです。
「これからは飛行機と自動車の時代。そんなものをつくっても無用の長物」と。
でも、高速鉄道の将来性を信じ、多くの鉄道マンが…当時の国鉄総裁から、現場の作業員一人一人まで…
それぞれの立場で、新しい鉄道造りに汗を流しました。
いつ誰からともなく呼ばれはじめた「夢の超特急」という言葉。


1964年10月1日、「夢」は「現実」のものとなって姿を現しました。
車両だけでなく、軌道、信号、電気などを統合した「新幹線」というシステム。
やがて西へ、北へ、南へ。


2008年12月14日、「夢の超特急」は、思い出の彼方へ去っていきました。
でもこれからも、0系の功績は長く語り継がれていくことでしょう。


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