碧き星たちへのレクイエム〜誰がブルートレインを殺したか(終着駅)

futashizuku2009-02-18

さて、1987年4月1日、国鉄から引き継がれた5本の九州ブルトレたち。その後どうなったんでしょうか。
端的に言うと 車両の老朽化と設備の陳腐化、乗客減、本数減、このスパイラルです。


全く何もしなかったわけではありません。
1989年、「はやぶさ」「富士」にB個室寝台車が1両連結されました。
個室の構造は「北斗星」に連結されたものに範をとったものですが、ついに九州ブルトレもグレードアップの段階に入ったかと期待を抱かせてくれました。
しかし、それだけで終わってしまいました。


民営化当初、東京〜九州ブルトレ5往復の客車の受け持ちはちょっと複雑でした。
はやぶさ」「富士」は全車JR九州
「さくら」長崎行き編成と「みずほ」熊本行き編成もJR九州
「さくら」佐世保行き編成と「みずほ」長崎行き編成、それに「あさかぜ」1・4号がJR東日本
そして、機関車は東京−下関間は全列車JR西日本関門トンネルと九州内はJR九州
国鉄時代は(正確に言うと民営化移行体制に入った86年11月以前)、機関車は別として、これらの客車はすべて当時の品川客車区の担当でした。
そのままなら全車JR東日本持ち、となるところですが、86年11月に民営化を見据えて品川のブルトレ客車たちは東京と九州に分散配置されました。
これはおそらく、分割民営化に伴い「車両使用料」が発生するためだったと思われます。


分かりやすく、東海道山陽新幹線を例に説明しましょう。
東海道新幹線JR東海山陽新幹線JR西日本の管轄です。
さて、東京発博多行きのN700系のぞみX号。この列車はJR東海JR西日本、どちらの「列車」でしょうか?


正解は「東京〜新大阪間はJR東海の」「新大阪〜博多間はJR西日本の」列車です。
同じ問題でどちらの「車両」か?という問いだと、実際にその車両を見るなり乗るなりしないことには「答えようがない」です。
N700系にはJR東海所有のものと、JR西日本所有のものがあります。ここでは仮にJR東海の車両としましょう。
新大阪から西、のぞみX号は、JR東海の車両を使って、JR西日本の列車として、運行されます。
このように他社の車両を使って運行した場合に、使用料を車両所有会社に支払う必要があります。
実際にはできるだけ使用料を相殺できるよう、新幹線の場合は東海・西日本両社が車両を分担して受け持ち、運行体制を決めています。


ブルトレに戻ります。
先に述べたように列車ごとに客車の受け持ちを変えたのも、車両使用料との兼ね合いと思われます。
そして前回書いたように、運賃・料金は、経由する会社ごとに分配されます。
各社ごとの収益は知れているのも、両端会社にしわ寄せが行くのも、昨日の記事でおわかりでしょう。
ここが、根本の問題です。どうしようもありません。「JR」の再編でもしない限り。
(実は一つ、盲点を突いたような方法はありますが…それは明日の、ヨタ話のネタにします)
かといって値上げするわけにも行きません。むしろ現状でも「高い」といわれるくらいですから。
逆に値下げして乗客が増えたところで、元々定員の少ない寝台特急では大した利益にならないと思われます。
(この点を理解していないファンも少なくありません。上野〜青森間「あけぼの」の「ゴロンとシート」…高速バス対策で生まれた、
寝具を省略した代わりに指定席料金だけで利用できるB寝台車…は苦肉の策ながら健闘しているようですが、
4社細切れの路線では成り立ち得ないでしょう。一昨日書いたサンライズしかり)
よりによって、お客の減る(つまり収益の減る)「両端側」の会社が車両を受け持ったことが、悲劇の始まりだったのかも知れません。
収益の減を他3社からの車両使用料で補う、という考え方だったのかも知れませんし、中間の会社に所有させても保守管理等に支障を来すでしょう。
(もっとも、おととい日記に記した「サンライズ」は西日本と東海で持ち合ってますが、東海車も西日本の車両基地に常駐させ、保守管理を委託しています)


運行主体が曖昧な4社細切れの九州ブルートレインは、景気の低迷もあり、転落の道を歩み続けます。
運賃・料金配分という根本問題の劇的な解決法がない限り、好転は困難だったでしょう。
いつの間にか食堂車は営業廃止され、94年に「みずほ」、そして「北斗星」のモデル列車だった名門列車「あさかぜ」1・4号が廃止。
この時「さくら」編成を差し替え、東京〜九州ブルトレ客車はすべてJR九州が受け持つことになります。「末端側」の一つ・JR東日本が客車を引き揚げました。
JR九州は高速バスとの対抗上、九州内では魅力的な特急型車両を次々投入しましたが、
投資に見合った収益が得られない寝台特急についてはほとんど手が加えられることはありませんでした。
かといってJR九州を責めるのも酷というものでしょう。
99年には「さくら」「はやぶさ」を併結運転化。実質的に1本減。
05年に「さくら」が廃止、かわって「富士」「はやぶさ」が併結化。伝統の東京〜九州間列車はこの1本のみとなります。


既に、4社の思惑はある意味バラバラ、ある意味一点に収斂していたことでしょう。
首都圏の夕方ラッシュ時にガラガラのブルトレが入ってくることが邪魔だったであろうJR東日本
そもそも新幹線が本業、もはや将来はリニアにしか目が向いていないJR東海
上り下りとも深夜・未明に、運転士や駅員のシフトを強いられるJR西日本
老朽化した客車のお守りをしなければならないJR九州
向かう先は…自ずと答えは出ます。


「富士・はやぶさ」廃止を「時代の流れ」と言うのは簡単です。
しかしその「流れ」は、地震や台風のような自然発生的なものではありません。
全てはいろいろな人々の営みの積み重ねとか、いろいろな思惑とか。制度の落とし穴とか。
かつてのきら星が、いつの間にか継子扱いされ、西の空から消えようとしています。


想い出多い九州ブルートレインへの、「弔辞」のつもりで書き綴りはじめました。
ラストランまで、あと1か月弱あるのに、「弔辞」はちょっと失礼かも知れませんが。
ともかく残された日々を、無事に走りきってくれることを願うばかりです。


私の想像で書かせていただいた部分が少なからずあることを付け加えさせていただきます。
それから、九州行きのブルトレとしては、かつて多数運転されていた関西〜九州間特急の存在も重要なんですが、今回は割愛させていただきました。


長らくのご乗車、ありがとうございました。
終着駅に到着しました。ここからは回送列車です。
せめて回送列車の中でなら…というわけで、次回、おまけのヨタ話を書きます。
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