「卒業」それは たった一つの 未来の扉の鍵だね…

2004年、1月。
TAKAYOが去ったZONEは、どんな体制になるのか。
私もそうでしたし、おそらく多くのファンも、いろいろ考えを巡らせていたことでしょう。
3人で行くのか、新メンバーを迎えるのか。


その答えは、意外に早くやってきました。
新メンバー「TOMOKA」加入。
「神話時代」のメンバーであった彼女。
2003年の夏に出たアトム企画アルバムでは、「西村朝香」としてトップを飾り、
おそらくランタイムとしては次代のエースとして期待していたことでしょう。
ある意味順当、な結果でしたし、先の企画アルバムでの彼女の歌声も好感を持って聴いていましたが、
いざ、TAKAYOと入れ替わって彼女が入った、という事実を目の当たりにすると、
赤坂・豊川稲荷でのお披露目会見を見ても、公式サイトのブログを読んでも、どこか受け入れがたかったのが正直なところでした。
私はTAKAYOのファンでしたから…


やたらと「新生ZONE」という言葉が使われたのが、そのややねじ曲がった私の感傷に突き刺さったのかも知れません。
冷静に考えれば、3人はこれからもZONEをやっていくんだし、新たに迎えたTOMOKAへの精神的配慮を考えれば、
あえて過去に区切りを付け、未来へ向かって歩む姿勢を示す、というのは当然だったのかも知れません。


新リーダー(「自称」などと言っていましたが)にはMIZUHOが就任。


「新生」ZONE第一弾シングル「卒業」。

おそらくMIZUHOのアイディアでしょう。卒業証書を受け取るアクション、途中のラジオ体操(?)…
「アイドル」寄りの、「バンドル」路線への回帰…?
「なんだやっぱり楽器弾けないんじゃないか?」と突っ込まれることは想像に難くなかったはずです。


これは想像ですが、
MIZUHOMIZUHOなりに、「TAKAYO脱退」という出来事のイメージを払拭し、
ガツンと(この夏のツアーのタイトルにも使われますが)、再スタートではなく新スタート、と意気込んで、あれこれ考えたのでしょう。


この当時のMIZUHO、頬がほっそりしています。というかかなり痩せた印象です。
今まで、勢いで暴走してもTAKAYOがそれを制御してきた。
逆に、TAKAYOがいるからやんちゃでいられた。
でも、自分が二代目リーダーになって、「ZONEのMIZUHO」をどう位置づけていくのか。どう「ZONE」をリードしていくのか。
不安、焦り…おそらく12月初め頃から、悩んでいたのでしょう。
リーダー就任、それが彼女にとって、そしてZONEにとって、良かったのか悪かったのか…


「卒業」初動36,046枚。累計60,782枚。
累計では前作「僕の手紙」より1万枚減らしてしまいました。
ただ、その1万がTAKAYOがやめたからファンをやめた人の数、とか
アイドル寄りに舵を切ったことへの不満層、と軽々には判断できないと私は思ってます。
前に紹介した「10万切ったらやがて5万がやっとになる」という話。
「僕の手紙」だってその前の「H・A・N・A・B・I〜君がいた夏〜」より6,000枚減ってるわけですから、
元々下降局面にいた、たまたまメンバーチェンジがその間にあった、という考えも出来ないでしょうか。


実は私がグラフを作ってこんな記事を書き始めたのも、
TAKAYOが去ってZONEの人気が降下した」という一部の俗説に疑問を感じていたから、
もっと言うと、「第2期ZONE」を再評価したかったからです。
※ここから先、なぜか文章が飛んでしまったので、6/15新たに追加


以前書きましたが、
ハ○プ○とZONEを掛け持ちしていたファンは少なくないようです。
そういう人達にとってはZONEも「アイドル」の一つに過ぎなくて、
最近では広島のテクノアイドルやアキバの団体さんの方に行ってしまったのかな、と。
こんな事書くと怒られるかも知れませんが。
にほんブログ村 その他日記ブログ つれづれへ