ラストステージ

中部空港へ行く電車の中でも、
北の大地を目指して飛ぶ機中でも、
千歳から札幌への電車の中でも、
ずっとずっと、MARIAの曲を聴いていた。


2010年4月17日。
MARIAの、本当のラストステージ。
「MARIAラストイベント〜FINAL☆PARTY☆NIGHT〜」というタイトルから、
ライブとトークを交えたイベント色の強いものを勝手に想像していたが、
中身は、完全なライブだった。
やっぱり地元でも…いや、地元だからこそ、MARIAらしく。


赤坂のライブとの明らかな違いは、
舞衣子が最初の方ですでに目が潤んでいたこと。
時に彼女らしい笑顔も見せながら、時に表情が崩れそうになりながら。


赤坂でも言っていたが、35年後のSACCHINの誕生日に還暦記念ライブをやると。
関係者が陣取る2階席を見回し「スタッフが年上の方が多くて」などと愛華の毒舌。プロデューサー氏に言及すると、
プロデューサー氏はすかさず「死んでるよ!!」。ナイスな返し。
そんなMCも交えながら、MARIAらしいライブは進んだ。


私は音楽を聴くのが好きだが、音楽そのものに対する専門知識は無いに等しい。
だから、MARIAの音楽がどうこうと細かく語ったり評したりすることはできない。
楽しければいい。
心地良ければいい。
そして詞に、感銘を受ければなおいい。
詞も曲も大好きな「My road」(赤坂ではセットリストから外れていた)を聴けて嬉しかった。
そうして1曲1曲聴きながら思う。
もう、生で、この6人が織りなすこの曲を聴くことはできない…。


メンバー一人一人の、解散に当たってのMC。
舞衣子のMCを聴いて、彼女にとってのこの4年間が、我々には計り知れない重たいものだったことに気付かされた。
このメンバーに出会えて、このメンバーで音楽をやれて良かったという言葉も、もちろん偽りはないだろう。
だが、MARIAの「顔」でもあった舞衣子の葛藤、苦悩…


ファンには何もできない。
少なくとも私には何もできなかった。
私がこの日記で書いた、「ファンがアーティストに何をできるのか」という命題。
思い上がりも甚だしい。何もできない。
だから舞衣子は苦しんだ。だからMARIAの一人一人が悩んだ。
その結論が、別れ。


ステージとオーディエンスがみんなで歌った、「旅立ちの日に」。
最後の最後、原点となった「小さな詩」。
小さな詩だったかも知れないけど、私にとってはどの曲も想い出をくれた宝物だ。
MARIAのいた4年間は、自分にとっても混迷の4年間だったから。


ライブ後の握手会。
ずっと何を言おうか迷っていたが、
舞衣子のMCを聴いて、「また会おう」なんて言葉はかけられない。私はそう思った。
だから、「ありがとう」。
SACCHINTATTSU、舞衣子、あゆか、愛華、れいな、
みんな、ありがとう。


応援の対象だったアーティストがステージを降りるのは、やはり辛い。
5年前もそうだった。
でも、彼女達が残してくれた曲はいつまでも残っている。
6人がどう歩んでいくのかは分からない。
けれど、この4年間が、彼女達の思い出になり、次の道へのパワーになってくれれば嬉しい。


負けたくないの そう自分にエールを送り
「不安な気持ち」といつも戦っている
諦めないと また ここから歩き出すんだ
自分 信じ続けるの
きっと辿り着けるから

※MARIA「My road」から


We are MARIA forever.

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