パノラマカーの思い出〜最後の夜に〜

futashizuku2008-12-26

今日は名鉄の、というより日本の鉄道史に残る名車と言っても過言ではない、名鉄パノラマカーの最終定期運転日です。
イベント用として一部の車両は今後も運転の可能性はあるようですが、
最終定期列車の終着・岩倉駅到着予定は22:08。まもなくです。


最初に、それまで絵本でしか見たことの無かったパノラマカーに乗ったのは、幼い頃。
当時まだ東京に住んでいて、名古屋の親戚宅を訪れたときでした。
先頭展望席もそうですが、赤一色の車体カラーも印象的でした。
名鉄=赤、という印象は今でも強いんですが、赤色をまとった名鉄最初の車両がパノラマカーだと知ったのはそれからずいぶん後でした。
運良く展望席に座ることができて、後ろに次々下がっていく架線柱、すれ違う列車、今でも思い出します。


やがて小学校へ上がる直前にこちらに引越し、パノラマカーは身近な存在になりました。
独特のミュージックホーン、特に新名古屋(現:名鉄名古屋)駅に進入の時などによく鳴らしていましたが、
(※お聞きになりたい方は「ありがとうパノラマカー」(名古屋鉄道)内「動画・ミュージックホーン」へどうぞ)
替え歌というか、地元の子ども(特に男の子)は勝手に歌詞を付けてました。
「どけよ どけよ ○すぞ〜」って(笑)。ひどい歌詞ですよね(笑)。
ま、男の子なんてこんなもんです(笑)。


運転士さんによっては通過駅とかでも盛んに鳴らしてたように記憶してます。
最近は騒音への配慮もあってか、昔のように派手に鳴らさなくなってきたようです。
でもこのミュージックホーン、後の名鉄特急車にも、一部の例外を除き装備されています。
もちろん、空港アクセス特急ミュースカイ」にも。
そういう意味では、最新の車両にもパノラマカーのDNAは脈々と受け継がれているといえます。


大学4年間は名鉄と地下鉄を乗り継いで通学していました。
いきおい、パノラマカーに乗り合わせることも多くなりました。
当時、特急列車としてはすでに後継車「パノラマSuper」が登場しており、パノラマカーは一部を除いて急行や普通列車主体の運行でした。
それでも両数は相当あったし、行きも帰りもパノラマカーだった、ということも全然珍しくなかったし。
ごく当たり前の存在になっていました。
でも、一番前の席が空いていると、やっぱりそこを確保してしまうんですね。
その時だけは、幼い頃の気持ちに戻ります。いくつになっても、男の子なんてこんなもんです(笑)。


やがて社会人になって、車通勤となり、電車に乗る機会も減り…
いつだったか、「パノラマカーが×年後に無くなる」というような記事を目にしました。
その頃はまだまだしょっちゅう見かけていたのでピンと来ませんでしたが、
真っ赤な車体にこだわっていた名鉄に銀色の電車が入るようになり、次第に「パノラマカー引退」が現実味を帯びてくるようになりました。
でもあまりに身近な存在であり過ぎて、最後にパノラマカーに乗ったのがいつだったのかどうしても思い出せません。
いまだに「無くなる」ということが現実に思えないんですけど、現実のものとして受け取らなければならないときがやってきました。


パノラマカー」のデビューは1961年。
さきに引退した0系新幹線デビューよりさらに3年も前のことです。
そんな昔に、こんな画期的な電車を造ったというのは驚嘆に値すると思います。
なんでも外部のデザイナーにデザインを依頼したとか。これも当時としては異例のことだったようです。
47年間、赤い軌跡を描き続けたパノラマカーこと「名鉄7000系」。
まもなく、終着駅です。
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