0系の思い出〜食堂車とビュッフェ〜

もう「食堂車」という言葉自体化石のような存在になってしまいましたが、
かつて長距離列車に食堂車は必須の存在でした。
特急はおろか、急行にすら食堂車が付いてたりしてたんですから。
昔の編成表データ見ると「へぇー、こんな列車にも」と驚いてしまいます。


新幹線の場合、当初は高速・短時間ということで軽食堂=ビュッフェ(旧国鉄では「ビュフェ」と表記)のみが連結されました。
JR西日本の「ありがとう0系新幹線 スペシャルサイト」内「スペシャルムービー ありがとう夢の超特急」を観ていると、
おそらく開業間もない頃でしょう、カウンターがびっしりとお客で埋まり、その間を忙しそうにウェイトレスさんが動き回っているシーンが映し出されています。
のちに博多までの延長が決まり、長時間の利用客が増えることを想定、「ひかり」にのみ本格的な食堂車が連結されるようになりました。


子どもの頃、九州への行きだか帰りだか、0系の食堂車に連れて行ってもらったことを思い出します。
中にはステーキなんて豪華なものもメニューに載っていましたが、さすがにそんな高価なものを食べさせてもらえるはずもなく、
カレーライスとかスパゲティとか、そんなようなものを食べたように記憶してます。
街中のファミレスに比べると若干高価だったんですが、流れる景色を眺めながら食べるカレーライスはとても美味しかったです。
今思えば、ホントに特別美味しいカレーだったのかどうかは分かりませんが、
ご飯皿とカレー容器(あれなんて言うんでしょうね?)が別々に出てくるあたりも、ちょっと高級感があって。


やがて0系の後継車・100系が現れました。
100系の食堂は2階建て車の2階部分(1階が厨房)。
窓が大きかったこともあって、0系の食堂車に比べ明るく開放的な雰囲気でした。


そんな100系「ひかり」全盛の頃。
ぷらっとこだま」で0系「こだま」に乗ったとき、途中でおなかが空いたのでビュッフェに行ってみました。
お客も少ないし、厨房の店員さんも最小限。
セルフサービス式で、厨房側のカウンターで料理を受け取り、窓側のカウンターで立食。
食堂車のカレーと違い、紙皿で出てきました。まるでキャンプ料理みたい(笑)。
あれだと、食器を洗う手間が省けます。たしかカウンター足下にくず物入れがあって、そこに使用済みの紙皿を捨てるようになっていました。
もう当時のビュッフェは、どちらかというと売店兼車内販売基地、という位置づけだったようです。


やがて、食堂車もビュッフェも時代の流れとともに消えてしまいました。


鉄道マニアの中には、「長距離列車には供食設備が必要だ」と主張する方もいらっしゃいます。
でも今思うと、財布は会計に必要だから持っていくとして、荷棚に乗せた荷物をかかえて食堂車へ行った記憶はありません。
つまり荷物は置きっぱなし。今考えるとちょっと物騒ですよね。
鍵をかけられる個室寝台なら別として、新幹線のような列車で長時間荷物を置いて席を離れるのは、いまではさすがに抵抗があります。
そんなことも影響したのかしていないのか、もちろん最大の要因は採算性や効率の問題でしょうが、現在の新幹線は車内販売が中心になりました。
時代の流れで、やはりやむを得ないのかも知れません。
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